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驚きの体験と「メディアアート」

先日オープンしたteamLabの新しい「デジタルアートミュージアム」の内覧会にお邪魔してきた。

帰宅してすぐに以下のTweetをした。

今となっては、「安易に批判」というあたりはちょっと挑発的過ぎたと反省しているのだけれど、圧倒的な規模と完成度に正直感動してしまった部分は今でも変わりない。

そして、予想した通り議論を巻き起こした。永松歩さんがとても素晴しいまとめをしているのでリンクする。

個人的な観測範囲だと、teamLabに批判的な方々の意見は以下のようなものが見受けられた。

  • 批評性が無いのでアートではない
  • 規模や物量で感動するのは単純すぎる
  • 「面白い」や「驚きの体験」というだけで思考停止している
  • 子供だましで大人の鑑賞に耐えるものではない

そこから、日本のメディアアートやメディアアーティストの批評性の無さを批判するような意見も多かった。自分も最近までそうした意見の側にべったりついていて、日本のメディアアートは批評性が無いから駄目なのだという意見をけっこう鵜呑みにしていた。

しかし、昨年Ars Electronica Festivalに参加して、ちょっと考えが変化しつつある。Ars Electronicaといえばメディアアート (英語では、New Media Art) を古くから牽引している本流 (権威?) のひとつとして誰も反対する人はいないだろう。Festival期間中はコンペであるPrix Ars Electronicaの受賞展の他に、その年のテーマに沿った企画展や周囲の大学などによるサテライト展示が数多く展示される。

それらを見て回ると、確かに、社会や技術に対する批評を主眼にした作品も多い。例えば台湾の作家Lien-Cheng WangによるReading Planはとても印象に残った展示なのだが、台湾の初等教育の全体主義的な様子を強烈に皮肉ったものだった。

その一方で、まず始めに驚きや発見を提供する作品も沢山あった。Deep Space 8K で上映されるプログラムは、巨大で高精細な映像へ没入する体験を圧倒的な強度で体感できる。Kimchi and Chips による Light Barrier 3rd Edition も、鏡の反射により空間上に3Dの形状が浮かび上がるという驚きの体験だ。

もちろん、驚きの体験の背後に批評やメディア技術に対する洞察などが含まれている場合も多いのだが、鑑賞している多くの観客はそんなことよりもまず目の前の体験を重視しているように見受けられた。

そもそも、Ars Electronica Festivalの歴史を振り返ってみると、冨田勲によるドナウ川にピラミッドを浮かばせて行ったサウンドクラウドなどの大規模なスペクタクルを体験させるイベントも数多く行っている。

Ars Electronica 1984 – The Universe by Isao Tomita from ars history on Vimeo.

Ars Electronica Future Labによる大量のドローンによる作品も、個人的には現代の花火大会のように感じる。

New Media Artの歴史を辿っていくと、例えばフェナキストスコープゾートロープ は「動く絵」という驚きの体験を提供するメディアアート作品だ。衛生中継が可能となった時代にはHole-In-Space という遠隔地が巨大なホールで結ばれるという体験が作品になった。Aspen Movie Mapは、ハイパーメディアで仮想の街をインタラクティブに散策できるという驚きの体験だった。

もちろん、その背後にはメディアに対する洞察があるし、社会批評を含むものもある。しかし、多くの作品に共通するのは新しいメディアに対する「驚き」がまず制作のそもそものきっかけになっているのではないだろうか。

そうした姿勢は、いわゆる現代アートの世界からは「アートじゃない」と常に批判され下に見られてきた。しかし、Ars Electronica Centerを始めとする多くの機関やアーティストの地道な活動で、現代アートのひとつのジャンルとして認められるようになってきたのではないだろうか。

そして、teamLabの展示について改めて考えると、彼等の提供する世界は「驚き」の体験の創出のために現在使用可能なメディアを総動員して実現された、ある意味とてもNew Media Art的な作品なのかもしれないと感じるようになってきた。

さらに今回、初期の作品よりも格段に表現や内容が進歩してきている印象を受けた。おそらく多くの優秀なスタッフが新しくチームに加わってきているのだと思う。彼等も今回の展示の反応をネットでチェックしていると思うので、今後そうした批判も踏まえてさらに洗練されていきそうに感じた。

批評性を主眼においたメディアアート、驚きの体験を提供するメディアアート、どちらもメディアアートだしどちらが優れているとか上とか下とかは無いように思う。

そしてこれだけ多くの議論を巻き起している時点で、社会に対して意義のある活動をしていると感じる。