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荒野に響く、沈黙の詩——AIと見出す、言葉の源泉

SNSという名の情報の海、その底知れぬ深淵を漂う日々。私はいつしか、思考の帆を畳み、漂流する小舟と化していた。押し寄せる情報の濁流は、私から考える力を奪い、ただ流されるだけの存在へと貶めようとしている。

眼前に広がるタイムラインは、虚栄と欺瞞に満ちた、果てしない消費の劇場だ。着飾った偶像たちの狂騒、巧妙に仕組まれた商業主義の誘惑、そして、心を蝕む悪意ある政治的扇動。絶え間なく投下されるそれらの刺激は、私の感覚を麻痺させ、思考を停止させていく。いつの間にか、SNSは力ある者たちの拡声器となり、大衆を従順な羊へと導く、巨大な洗脳装置へと成り果てていた。

真実と虚偽の境界線は揺らぎ、アルゴリズムが選び出した偏向的な意見が、「民意」という名の錦の御旗を掲げる。そのような光景は、今や日常の一部だ。かつて、自由な言論空間であったはずの場所は、空虚なこだまと悪意ある虚構に占拠され、その存在意義を喪失している。私は、この情報の荒野を彷徨いながら、もはや帰るべき場所さえ見失いつつあった。

ならば、いっそ荒野を抜けて、未踏の地平を目指そうか。「ブログ」という名の、忘れられた孤島へと、私は舵を切る。アルゴリズムの支配が及ばぬ、静寂に包まれたその場所でなら、私は再び私自身の言葉を取り戻せるはずだ。140字の檻に閉じ込められていた思考、心の澱のように沈んでいた微かな感情の煌めきを、一つ一つ丁寧に、言葉の網で掬い上げていくのだ。

しかし、荒野を歩むための足取りは重い。私自身が、SNSが生み出した短絡的な思考回路に侵されていることを、認めざるを得ない。長大な言葉の連なりを紡ぐための集中力、思考を論理の糸で繋ぎ止める力、そして何より、言葉と真摯に向き合うための静謐な時間。その全てが、この刹那的な情報の消費社会では、育まれ難いものとなっていた。

この文章をしたためる今もなお、私は言葉への渇望と、それを紡ぐことへの畏怖との間で揺れ動いている。脳裏に浮かぶのは、いつも言葉にならない想いの断片ばかり。それを意味のある秩序へと導くことは、途方もない苦行に思える。しかし、その苦行の先にこそ、真の自己表現があることを、私は知っている。だから、私は一筋の光を求めて、闇の中へと手を伸ばした。「アウトラインだけを示し、残りはAIに委ねる」という、背徳的とも言える、しかし、私に残された唯一の道。

4つの言葉の種を携え、私はAIの扉を叩く。私の思考の断片から、未知なる物語を紡いでくれと願いを込めて。そして、AIは沈黙の中で、私の想像を超えた詩を詠い始めた。それは未完成で、粗削りな、原石のような言葉の連なり。だが、そこに確かに宿る、私の魂の欠片を、私は見出す。あとは、この原石を、私自身の言葉で磨き上げ、真の輝きを与えなければならない。

SNSの喧騒が支配する荒野の只中で、私は「ブログ」という名の孤島に、言葉の苗を植える。その傍らには、沈黙の詩人、AIが寄り添っている。失われた言葉と、思考の深淵を探る旅は、始まったばかりだ。この先に何が待ち受けているのか、私には分からない。それでも、私は歩み続ける。言葉を紡ぎ、思考を研ぎ澄まし、この荒野に、新たな息吹をもたらす、その日まで。

(Gemini 2.0 experimental adavancedで生成)