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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」感想
たまには、ブログっぽい記事を。
映画「バードマン」が、なかなかいろいろ考えさせられる良い作品だったので、忘れないうちに感想を書いてみる。レビューなどという大層なものではなく、あくまで個人的な感想として。
以下、映画の結末に触れているので(いわゆる「ネタバレ」)これから観に行こうとしている方は読まない方がいいかも。
この映画をどう捉えるかは、最後のシーンをどう解釈するかによって大きく変化するように思う。あえて多様な解釈が可能にしてあるのだろう。
個人的には、延々と擬似的な長回しが続いた後、初めてカットが切り替わって以降の世界は、現実ではなく妄想や空想の中での話だと解釈した。そもそも冷静に考えると、いろいろおかしい。
- 銃でこめかみを打ち抜いたのに、鼻が吹っ飛んだだけで済むなんて、しかも治療であっさり回復なんて都合の良い話すぎる
- 落ち目の役者が舞台で自殺を図っただけで、一晩にしてヒーローになるわけがない
- 劇の終演後、ほとんどの観客がスタンディングオベーションする中、静かに(悲しげに?)席を立った評論家が、その作品を激賞するのか?
- 病室に置いてある新聞のタイトルが、“Birdman” になってる
などなど。つまり、リーガン(主人公)は既に死んでいるというのが素直な解釈なのだと思う。空を飛ぶ火の玉もそれを暗示している。
誰しも若い頃は自分は万能だと思っているけど、歳を重ねることで徐々に自分が凡庸で理想からほど遠い人間であることを思い知らされる。それでも理想を求めて葛藤する。リーガンもまた、自分は「バードマン」なんて子供騙しのキャラクターで終わる人間ではないと、本格的な役者として復活して人生を一発大逆転しようともがいている。
しかし、現実は厳しい。「演劇界」では所詮リーガンはヒーローを演じていたうすっぺらな映画業界人でしかなく、評論家からは、はなから相手にされない。
うっかり楽屋口から締め出され、パンツ一丁でブロードウェイを歩いた動画がネットでバズるという体験から転機が始まる。それまで、ネット上では存在すらしていなかった自分が、一夜にして有名人となる。ひさびさに、多くの人達から承認される喜び。拳銃で自殺するという突飛な発想も、世の中を悲観してというのではなく、さらにスキャンダラスな演出をすることでより、家族や世間から承認されたいという発想だったのではなかろうか。
この作品のテーマ、40歳を過ぎた自分にとっていろいろ身につまされて、心を揺さぶられる。多くの中年は、「俺はこんなもんじゃないはずだ」という心の中のバードマンと葛藤してる。スーパーヒーロになった自分を夢想しつつ、単調な現実を生きていく。なかなか重い。
ちなみに、劇中劇で使われるレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を読んだことがない。この作品の内容を知っていると、また感想は変わってくるのかもしれない。