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Live Coding – note 01: ManifestoDraft

ライブコーデイング(Live Coding)に関して調べものや考えたことを、メモとしてブログに残していこうかと。まず始めに、TOPLAPのライブコーディングのマニフェストを、ざっくり訳してみた。あくまで自分用のメモなので、日本語としてちょっと不自然な直訳で、かつニュアンスがちょっと間違っているかもしれないので、原文も併記。

全体を通して、TOPLAPの考える、Live Codingのあるべき姿が感じられて面白い。道具としてコードを書くのではなく、心や思想を表現する手段としてのコードといった感じ。また、コードを隠すな、バックアップするなというあたりに潔癖さを感じた。

マニフェスト草稿

http://toplap.org/wiki/ManifestoDraft を翻訳

以下のことを要望する:

  • 演奏者の思考に、人間という楽器全体に到達できるようにせよ。
  • オブスキュランティズム (衒学趣味) は危険だ。スクリーンを見せろ。
  • プログラムは、自身を書き換えることのできる楽器である。
  • プログラムは超越的であるべきで、人工言語はその手段だ。
  • コードは聞こえているように見えるべきだ、基礎となるアルゴリズムはその視覚的な出力結果と同じように見えるべきだ。
  • ライブコーディングは道具ではない。アルゴリズムは思想だが、チェーンソーは道具だ。アルゴリズムが時としてチェーンソーより認識が難しいのはそのためだ。

我々は連続するインタラクションの深淵さを認めている。しかし、それに加えて以下のものを求める:

  • アルゴリズムの洞察
  • 心の機智の表現豊かで印象的な表出としての、アルゴリズムの熟練した即興
  • バックアップしない

我々は以下のように考えている:

  • オーディエンスはコードの全てを正しく理解させる必要はない。それは、ギターのパフォーマンスを見ている聴衆がギターの弾き方の詳細を知る必要がないのと同じことだ。
  • ライブコーディングは、タイピング操作の巧妙さと素晴しさを表現する印象的なディスプレイを伴なう
  • パフォーマンスは連続したインタラクション、パフォーマーのアートワークの空間の操作、ジェスチャー、表現の詳細に対する率直さを含む。
  • 伝統的な器楽による楽曲における、触覚的なタイミングの逸脱による表現は、コードには必要ない。なぜ過去を模倣するのか? コードを書いて思考を表現することは、それ自身がニュアンスや慣習の開拓になることは疑いようもない。

原文 (ManifestoDraft)

We demand:

  • Give us access to the performer’s mind, to the whole human instrument.
  • Obscurantism is dangerous. Show us your screens.
  • Programs are instruments that can change themselves
  • The program is to be transcended – Artificial language is the way.
  • Code should be seen as well as heard, underlying algorithms viewed as well as their visual outcome.
  • Live coding is not about tools. Algorithms are thoughts. Chainsaws are tools. That’s why algorithms are sometimes harder to notice than chainsaws.

We recognise continuums of interaction and profundity, but prefer:

  • Insight into algorithms
  • The skillful extemporisation of algorithm as an expressive/impressive display of mental dexterity
  • No backup (minidisc, DVD, safety net computer)

We acknowledge that:

  • It is not necessary for a lay audience to understand the code to appreciate it, much as it is not necessary to know how to play guitar in order to appreciate watching a guitar performance.
    Live coding may be accompanied by an impressive display of manual dexterity and the glorification of the typing interface.
  • Performance involves continuums of interaction, covering perhaps the scope of controls with respect to the parameter space of the artwork, or gestural content, particularly directness of expressive detail.
  • Whilst the traditional haptic rate timing deviations of expressivity in instrumental music are not approximated in code, why repeat the past? No doubt the writing of code and expression of thought will develop its own nuances and customs.