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人工知能、機械学習、ライブコーディング
先日「計算美学しよう!」という研究グループで、ライブコーディングについての簡単なプレゼンとデモをした。その後のディスカッションで人工知能、人工生命、美学といった様々な専門家の議論を専ら横で聞いていていろいろ刺激され、アイデアが湧いてきた。
その後、TidalCyclesの開発者のAlex McLeanによる “Lessons from the Luddites (ラッダイト運動からの教訓)” という記事を読んで、研究会での議論ともかなり重なる部分もあり、人工知能や機械学習とライブコーディングの関係についていろいろ思いを巡らせた。アイデアを忘れてしまわないようにメモ的に記録してみる。
個人的には、現在のAIブームにはちょっと懐疑的な部分もある。現在の深層学習のアプローチ、巨大なデータを処理して効率的に学習しながら最適解を見つけていくような方法は、今後もどんどん発展し様々なジャンルに適用されていくのは間違いないと思う。その一方で、意識をもった「強いAI」が生まれてシンギュラリティによってAIが人類を凌駕するというのは、まだあまり実感できていない。
とはいえ、例えばコーディングの分野にしても、近い将来、単純に効率的に最適解を求めるようなプログラムなら、人間のプログラマーではなく機械学習によって自動的に生成されたプログラムのほうが遥かに優秀になる時代が来るのは確実だと思う。そういった時代では巨大なデータと膨大な計算資源をもった組織が圧倒的に有利になり、一人のハッカーが世界を変えるというのがどんどん難しくなっていく。巨大な計算資源とデータを押さえた組織が圧倒的に優位だ。
では、個人のプログラマーはもう無力なのか?
そういった背景を踏まえると、現在のライブコーディングやクリエイティブコーディングの動きがちょっと違った角度から見えてくる。例えば、最近になってZach Lieberman達が提唱している “Poetic Computation” は、計算を効率や速度といった観点からではなく美学として詩的な観点からコーディングを捉え直す試みなのだと思う。ライブコーディングは、さらにこの詩的なコーディングの考えを発展させて、コーディングする行為自体に美や詩情を見出す姿勢なのかもしれない。どちらも、機械学習時代のデータ量や効率や速度といった尺度から逃れて、コーディングの別の価値を生みだすためのアプローチと考えると、その意義が見えてくる。
単に機械学習のブームに乗るだけではなく (もちろんそれも重要だが)、機械学習ではカバーできない領域を開拓して表現していくことが、今、個人ベースのプログラマーにとって重要なことなのかもしれない。