8月下旬から9月上旬、CBCNET主催による、2週間にわたるデザイン・アート分野のワークショップやライブイベントの集中企画、APMT Weekが開催されます。ドークボットTΩKYΩや、RjDj開発チームやdouble Negatives Architectureが参加するプレゼン+ライブTMUG Bridgeなどコアな企画が目白押しで、超注目のイベントです。で、ひょんなきっかけから、その中のサブイベントTMUG#13「ハイアングル」に参加することになりました。
場所は西麻布のBUllet’s、なんと、あの赤松正行さんと一緒です。大御所の前で、いいかげんなプレゼンできないので、緊張です。
当日は、OpenSoundControlを軸にして、いろいろなプログラム(Max/MSP、SuperCollider、Processing、OpenFrameworks、iPhone)を連携して、オーディオ+ビジュアルでいろいろ楽しいことやろうというような内容で企画中。当日はWifiを使って、実際にみんなでネットコラボレーションしてみようと思うので、ノートブックを持参したほうがより楽しめると思います。
詳細な情報は、TokyoMaxUserGroupのWebページを参照してください。以下、TMUGサイトからの転載。
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TokyoMaxUsersGroup#13「ハイアングル 」
ゲスト:
- 赤松正行 [IAMAS]
- 田所淳 [YOPPA.ORG]
TokyoMaxUsersGroupはMax/MSP/Jitterを中心にAudio/Visual.
プログラミングに関する情報交換を目的としたゆるやかな集いです。
2007年3月から数えて通算13回目のテーマは「ハイアングル」。遂に日本におけるMaxの伝道師「2061:Maxオデッセイ」の著者である赤松正行氏の招聘が決定!今回はプレゼン時間を大幅に拡大してドップリ赤松ワールドを展開して頂きます!
さらにDSPの情報を豊富に扱う多摩美SSAW(現在はSBAW)の講師を勤める田所淳氏によるOpenSoundControl講座では、MaxのみならずProcessing,OpenFrameworks,SuperCollider,iPhoneをブリッジする注目のレクチャーを展開!
これは見逃せません!もちろんMax初心者•非ユーザー大歓迎。興味のある方ならどなたでも参加可能。ノートPCの持参を推奨します!
より大きな地図で サイクリング記録 を表示
昨日は天気良かったので、久しぶりに、自転車で遠出。といっても、都内をウロウロした程度だけど。
ざっとルートを辿ると、
- 往路:池尻大橋 → 目黒 → 恵比寿 → 白金 → 芝 → 神谷町 → 霞ヶ関 → 皇居外苑 → 日比谷 → 銀座
- 復路:銀座 → 新橋 → 神谷町 → 麻布台 → 飯倉 → 六本木 → 渋谷 → 池尻大橋
といった感じ。ハトバス都心観光ツアーのようだ。実は今まで皇居外苑の中に入ったことが無かった。初めて見る皇居前広場は予想以上に広大で、なかなか良い場所だと思った。もし今後東京に初めて来た外国人にお勧めの場所を問われたら、渋谷や秋葉原より皇居外苑を推したい。皇居は英語でエンペラーズハウスでいいのだろうか? 銀座松坂屋の屋上はビアホールになってて、ジンギスカンのいい匂いが漂っていたのだが、帰りも自転車に乗らなければならないので、じっと我慢。虎ノ門や霞ヶ関のあたりは、お盆のためかほとんど人が居らず、奇妙な静けさだった。
暑かったけど、なかなか楽しいサイクリングだった。GoogleMapsで距離を測ったところ、約24km。まあまあの距離。だが、その後三軒茶屋の沖縄料理のお店でオリオンを大量に飲んだので結果としては逆にカロリーオーバーかも。
XHTML 2 のワーキンググループが活動停止して、XHTMLはHTML 5 に統合されるというニュースを聞いて、この先どうなるのかともやもやしていた。もやもやするだけならいいのだが、多摩美や嘉悦大の授業で、XHTML1.0に準拠してWeb作成の授業をやってきていて、その際に「この文法をしっかり守っていれば、多少仕様が変化しても、この先何年も『長持ちする』Webページになる」と断言していた。ところが、あっけなくXHTMLがこの先使用できなくなってしまうと、「田所使えねー」ということになりかねず、かなり気になる問題だった。
そんな折に、“Misunderstanding Markup” 日本語訳という記事に触れて、だいぶすっきりした。
僕自身、いろいろ誤解があったのだが、XHTML 1 から XHTML 2 の移行というのは、現在の文法をより厳密にしたバージョンということではなく、全く一から「純潔な」文法を導入しよう、という動きだったらしい。
ちょとググってみたところ、IBMのサイトに実例が載っていた。
<body>
<section>
<h>My Web Page</h>
<p>Here is my Web page.</p>
<section>
<h>Section 1 of my Web page</h>
<p>Here is section 1 my Web page.</p>
<section>
<h>Section 1.1 of my Web page</h>
<p>Here is a subsection of my Web page.</p>
</section>
</section>
<section>
<h>Section 2 of my Web page</h>
<p>Here is section 2 of my Web page.</p>
</section>
</section>
</body>
XHTML 2 を今すぐ使うから引用。
確かにこれは、かなり大幅な大胆な変更かも。section要素というのがあり、それが入れ子状になることで段落や見出しのレベルを示している。文章の厳密な構造について考えると、確かにこちらのほうが正しいのかもしれないが、いままでのHTMLの考えに馴染んでた人たちが移行するのは大変そう。
それと比較して、“Misunderstanding Markup” 日本語訳を読むとHTML 5 の方はけっこう「緩い」規格のようだ。ノリとしては、「XHTMLの厳密さが好きなひとはそれで書けばいいし、面倒ならあんまり気にしなくてもいいよ、どっちも間違いというわけではないよ」という感じだろうか。
ただ、このマンガでも触れられてるように、HTMLを初心者に教える立場となると、圧倒的にXHTMLの構文が良いように思う。シンプルなルールで一貫性をもって全ての要素が記述されているので、教える方も学ぶ方も、変な例外を気にする必要がなくてわかりやすい。
というわけで、今後もしばらくは安心してXHTML 1 の文法を基本に授業していきます。授業資料を作りなおさなくて済んで良かった。
また、この記事を読んで衝撃を受けたのは、XHTML 1.x からHTML 5 へ移行する方法のあまりにも簡単な方法。
じゃあ、XHTML 1文書を簡単にHTML 5に変換する方法を教えようか。
このDOCTYPEを
<!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.0 Strict//EN"
"http://www.w3.org/TR/xhtml1/DTD/xhtml1-strict.dtd">
こう変えるんだ。
<!DOCTYPE html>
はい、おわり。
XHTML 2はなくなるけど、XHTMLはこれからも生き続けるんだ。HTML 5の中でね。
え、それだけなの!? そして、あの長ったらしくて意味不明なDOCTYPE宣言が無くなるのは、かなり嬉しい。毎年ここで挫折してXHTML嫌いになる学生が大量発生してるから。
というわけで、このyoppa blogも実験的にHTML 5 にしてみた。FireFox、Safari、Chromeだときちんと表示されている。IEは確認してないけど、崩れたら崩れたでいいや。IEが時代に追い付いて来いということで。
めずらしく原稿を書く仕事があり、ここしばらく取り組んでいるのだが、自分でも驚くくらい文章が書けない。Twitterで140字以内で何かを書くことに慣れてしまったのかもしれない。危機感を覚えたので、リハビリとして久し振りにブログを復活。
最近読んで、ちょっと考えさせられた文章。
『失楽園』は私は少ししか読んでいないし、あとのは全然読んでいない。もちろん渡辺にはそれ以前に伝記小説のいいものなどたくさんあるが、『野わき』などから、中年男と若い女の性愛を描く傾向はあった。だから『野わき』当時渡辺を批判していた人はいいのだが、もはや現在、これほど「渡辺淳一はバカにしてもいい」という空気が支配している中でせっせと渡辺淳一をバカにしようとするのは、ある種の愚かさなのである。
それは『失楽園』やら『愛の流刑地』がいいかどうかとは関係なく、「××をバカにしてもいい」という空気が充満している時に××をバカにするというのは、愚かなのである。たとえば××に「自民党」を入れてもいい。
ある種の愚かさについて – 猫を償うに猫をもってせよ
確かに僕も時流に乗せられて(?)ナベジュンの悪口言ったことがあるので、全然批判できない。なんだかんだ言って、のりピーの話題で盛りあがってたりもする。ちょっと前で言えば、コムロとか。
なぜ、こうした「××をバカにしてもいい」という対象を叩くのが盛りあがるのかと考えてみると、そういった会話をしているグループの誰もが、直接は対象と関係ないからだと思う。例えば、会話の輪の中にのりピーの関係者、例えば親戚など、がいたら、無邪気に話題に出したりできそうもない。誰も関係ないからこそ、誰も傷つかずにそこそこスリリングな会話が成立する。共通の知人の悪口を言って盛りあがるよりは、害は少ない。そうして、対象を消費し尽したら、また別の「バカにしてもいい」対象を探す。
もう一つ言えることは、自分はぜったいに叩かれる側にはならないという考えがあるのかもしれない。自分は芸能人や文化人といった有名人ではないし、まさか殺人事件とか覚醒剤に手をだすことも無いだろうし、という漠然とした自信。実際、自分がのりピーの立場に立たされることは、万に一つもないとは思う。
ただ、最近ではこうしてブログで不用意な発言をしてると、どこかの暇人が見つけてきてはてなブックマークなんかで炎上するということは起こり得ることだ。あまり安心はできない。こうした個人の零細ブログだから何を言っても平気かというと、実はいろいろなトラップがある。疑似科学とか、直リンク禁止宣言とか、オタク批判とか。誰か暇人が個人ブログからそういったネタを探してくると、「××をバカにしてもよい」というムードが急に醸成されて、一斉にコメントで叩きはじめる。高尚なことを言っているつもりでも、その構造は、のりピーをバカにするのと大差ないのかもしれない。
久しぶりに文章を書くと、なかなか論旨がまとまらない。