震災の個人的な記録
今回の地震、首都圏に住んでいるので、 ほとんどたいした被害はなかった。なので、以下の文章はどうでも良い内容なのだけれど、自分自身の記録という意味で、久し振りにブログ更新。ニュース的な価値は皆無です。
今後、あちこちで「地震のときどうしてた?」という話題になるのだと思うのだけれど、僕の場合は多摩美の情報デザイン学科情報芸術コースの卒業展覧会に向かおうと家で準備をしているところだった。最初の揺れのときには仕事机に向っていたので、Twitterに「うわ、また地震かー」なんて呑気な書き込みしてたのだけれど、その後本格的な揺れがきて、あわてて机の下にもぐった。訓練ではなく机の下に避難したのは初めて。正直ビビった。
机の下から部屋の様子をみていたら、棚がユサユサと揺れてCDがバラバラと落ちてきたり、棚の上に積んでいたカセットコンロなどの乱雑に収納していた物がどんどん落下。普段いいかげんにしていた部分のツケが一気にきた感じ。しばらくすると、キッチンに置いてあった、キャスターで移動できるようになっている食器棚がゆっくり移動してキッチンに衝突。引き出しなどが開いて食器が落下して派手な破壊音をたてながら、キャスターが壊れて停止。びっくりした。
揺れが納まってまずしたのは、やはりTwitter。最初は被害の状況がわからないので「部屋がめちゃめちゃやー」なんてつぶやきながら、お気楽な感じで部屋の写真をアップしてたりしたのだが、徐々に外で防災放送が鳴ったり、窓の向うの東京湾の方面で黒煙があがっているのをみているうちに、かなり深刻な事態であることを徐々に実感した。
その後はおそらく首都圏に住む大勢の人と同様、TVに映しだされる光景を呆然と見ていた。
翌日には自分が企画していたイベント、openFrameworks Tokyo v0.01 が予定されていたので、開催するかどうかを出演者や関係者の方と相談。結局出演者の方の大半は、地震の影響で出演が困難ということがわかり、延期することに。まあ、仕方ない。
結局その日は、交通がマヒしているので、多摩美の卒展にもいけるはずもなく、おとなしく家でTVみたりネットみたり。夜になって家の外に出てみると、家(池尻大橋)の前を通る国道246号は帰宅する人の列で歩道が埋めつくされていた。下り車線は大渋滞。対照的に上を通る首都高は通行止めのようで車は一台も走っていなかった。
ちょっと感動したのは、家の裏にあるANSWERという会社が運営するギャラリーPUBLIC/IMAGE. 3D がトイレ、電源、WiFi環境を開放していたこと。短い間に決断して、すぐに実行に移せる実行力は凄いと思った。
思いつくままに書いた感じだが、そんな一日だった。翌日、近所のスーパーはいつもの何倍もの混雑。ちょっとハイテンションになってるおじさんもいたりして、まだみんな(もちろん自分を含め)興奮状態にあるんだなと実感した。
こういうときに、しみじみと、非常事態には自分のやっている仕事はまったく役に立たないと実感する。しかし、だからといっていつまでも家でTVみてても仕方ないので、月曜からは、できる範囲で仕事しながら日常生活を送ろう思う。もちろん節電には心掛けるべきだけど。
東北地方の被害の甚大さは想像を絶するのだけれど、個人的に気がかりなのは、以前友人の実家で大変お世話になった福島の相馬市の様子。幸い連絡がとれで無事だったそうなのだが、ニュース映像でみると街はかなり壊滅的な状況のよう。すぐに何かできるわけではなのだけれど、なにか力になれればと思う。すぐに再開できるかはわからないのだけれど、相馬野馬追が復活したら、ぜひみにいきたいなと思う。