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顔の影響

顔

ゴルフのミシェル・リーという選手をみると、アメリカで活躍すアジア系スポーツ選手の類型があるような気がした。それはプレースタイルとかスポーツ競技に対する態度とか高度な話ではなく、単に見た目の話だけど。

アメリカでプレーするようになってイチローも何だか日系アメリカ人みたいな顔になってるし。この前ワールドシリーズで優勝した井口なんて、完全に日本人離れした顔になってる。アメリカじゃないけどサッカー中田英も、ちょっと外人っぽい。

やっぱりジェスチャーや、笑顔みたいなちょっとした表情がいつのまにか周りの影響を受けていくから、次第に印象が変っていくのかもしれない。

ということは、朝青龍や琴欧州も本国では「最近あいつ日本人っぽくない?」とか言われているのだろうか。あとベンチャーズとか。


読書の秋

相変らず、ゆっくりと走ってます。

最近は1時間走っても、筋肉痛になったり膝が痛くなったりしなくなり、わずかでも成果がみえはじめると、徐々に楽しさが増してきた。精神的にも安定するような気がする。やっぱり脳内麻薬が出ているのだろうか。これもLSDのおかげか。この回だけ日記の読者は誤解しそうだ。

最近は、山野井泰史さんというクライマーに関する本をたて続けに2冊読んだ。一つは、本人が自身のクライミング半生を綴った「垂直の記憶」。もう一冊は沢木耕太郎が山野井について書いた「凍」という本。

この本を読むまで知らなかったのだが、最近の第一線の登山は、以前のようにベースキャンプから第一キャンプ、第二キャンプと徐々に基地を広げて最後に数十人のなかの1、2人が頂上に立つというような方法はとらないらしい。こうした旧来の方法を「極地法」といって、昔、橋本龍太郎が隊長をしてエベレストに登ったりしたのはこの方法。その結果大量のゴミや酸素ボンベやロープが山に捨てられる。

それに対して山野井をはじめとする最近のトレンドは、「アルパイン・スタイル」という、一人または数人でベースキャンプから一気に頂上を目指して登り、またベースキャンプまで降りてくるという方法。結果として荷物は最低限の物しか持たず、もちろん酸素ボンベなどもないので無酸素で8000m級の山に登ってしまうらしい。しかも、わざわざ難しいルートを選んで。

全てのエピソードが、とにかく凄い。酸素が薄いところではのんびり寝ていると脳や体がやられてしまうので、ちょっと仮眠する程度で基本はひたすら登りつづける。山では3日間くらい寝なくても平気なのだそうだ。食料もたいしたものを持っていないので、フリーズドライの簡単な食事ですませ、あとはブドウ糖の錠剤を齧りながら登る。

そしてついに、2002年に夫婦でヒマラヤで雪崩にまきこまれてしまう。入山して8日間、瀕死の状態でサバイバルしていく。何度も雪崩にまきこまれ、疲労も重なって失明してしまう。それでは崖の様子がわからない。仕方が無いので素手で感触を探りながら下山しているうちに、手足のほとんどの指が凍傷でミイラのように壊死してしまう。酸欠と疲労で胃液を吐きながらも、ぼろぼろの状態でなんとか帰還する。もう壮絶すぎて、想像が及ばない世界だった。最後のビバーグ地点でもう衰弱しきった奥さんをみて、ここで写真を撮ろうという。もしかしたらこのまま死んでしまって、もう会えないしれないから。写真を撮った後、その場に奥さんを残して下降し、独力でなんとかベースキャンプまで辿り着く。そこで、たまたま様子を見に戻ってきていた現地のチベット人に遭遇しなんとか帰還する

それでも、その時のクライミングを振り返ると「すがすがしい気持ち」なのだそうだ。うーん、凄すぎる。


強気な人たち

バカなことばかり書いていると、もともと少ない読者をさらに減らしそうなので、たまには真面目な内容を。それで逆に読者を減らしそうだけど。

更新されると、いつも興味深く読んでしまう、「内田樹の研究室」。最新のエントリー「動物園の平和を嘉す」も、なかなか考えられさせる内容だった。

ここに書いてある全てに同意するわけではないけれど(例えば「戦時中の社会にノイローゼの人間はいない」というのは本当かな?と疑問だけれど)、その結論部分には賛成する。いま急に改憲を押しすすめようとしてる人々とそれを支持する人達が「どうして、戦争が起こったら自分が殺され、自分の街が破壊され、自分の財産や自由が奪われるという想像がなされないのか?」という問いかけには、ほんとそうだよな、と思う。

すぐに「普通の国」とか言いたがるような人って、その結果として起ることを自分の立場で具体的にイメージしているんだろうか。もっと漠然としたイメージでしか考えてないように思う。周りにペコペコ謝ってる人より勇ましく主張する人の方が、なんだか立派にみえてしまう。勇ましいことばかり言っている政治家を支持する心理は、そっちの立場につく方がなんとなくカッコ良くみえるからという単純なイメージなんじゃなかろうか。「勇ましい国家に所属するオレ = カッコイイ」みたいな単純な考え。

そのうちに、声がデカくて、体力があって、押しが強くて、すぐに上下関係を押しつけてくるような人種が大手を振って歩くような時代になっていくんだろうか。最悪だ。


家を新築しました

おうち

LEGOで。

LEGOレベル的には、5歳くらいか。

昨晩偶然みたTVチャンピオンのLEGO王選手権、すごかった。東大寺の伽藍の屋根の微妙なカーブを再現していた。感動した。大人LEGO。

LEGOから大人を意識したシリーズだしたら、ヒットしないだろうか。神社仏閣シリーズとか、盆栽シリーズとか。「ボケ防止に最適です」とか宣伝して。


がんばりすぎてませんか?

ぽつり…

仕事の追いこみで、慌しく作業しているところに、SPAMメールが届く。

がんばりすぎてませんか? 楽しんでいますか?
充実してますか? のんびりしてますか?
笑ってますか? いちゃいちゃしてますか?

たまには、自分にご褒美をあげましょう。

いい出会いがありますように

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あまりにジャストのタイミングだったので、笑った。


やばい

LEGOその2

やばい、LEGO楽しい。レイトレーシングというとすぐにツルツルで透明の物体を使いたがるところが、我ながら素人くさい。

以前LSDのことを知ったベージの続きを読んでいたら、「どのくらいの時間を走ったらLSD?」という質問があって、それに対する回答があった。

ジョギングは“走り方”ですから、100mでも20kmでもジョギングはジョギングですが、LSDは長く走るトレーニング法ですので、あまり少ない時間・距離の単位では用いません。

200mジョッグ、5kmジョッグ、60分ジョッグというような言い方はしますが、LSDは、おおまけにまけて60分、少なくても90分以上は走るのが普通です。

ナニー!! 最低でも60分以上じゃないとLSDって言わないらしい。なので、今まで僕がやってたのは、単なる「ジョギング」だそうです。

というわけで昨晩は会社から帰ってから、距離を決めるのではなく時間を決めて走ることにする。とりあえずは「おおまけにまけて」60分。家にストップウォッチ付きの腕時計なんてないので(というか腕時計が一つもない)、キッチンタイマーを片手に走る。60分はさすがに退屈しそうなので、左手にはiPod。重装備。

やってみた感想としては、ゆっくりとなら60分は普通に走れた。20分くらいを9割の力で走るより、60分を6、7割くらいの力で走るほうが精神的には楽だ。余裕がある感じ。あと、時間走にした利点は、いちいち周回回数を数えなくていいので、音楽聴きながらぼけーっと他のことを考えられる。いいかも。


LEGO! LEGO! LEGO!

レイトレースしたVirtual LEGO

子供の頃すごくLEGOが好きで、暇さえあればLEGOで車とか宇宙船とか謎の形状などを作っては破壊するということを繰り返していた。でも、確か中学生くらいになったときに全て従弟にあげてしまったように記憶している。

今日偶然みつけた、BricksmithというOSX用のアプリが、バーチャルにLEGOを組みあげていくことができるCADのようなソフトで、これがかなり面白い。パーツも豊富に揃っていて、いろいろな形状が作れそう。LEGOに明け暮れた幼い日々が蘇えってくる…。

このアプリで出力される、LDraw形式(.ldr)というファイル形式は、様々なOSやアプリでのバーチャルレゴのアプリケーションで共通に用いられているフォーマットのようだ。LDraw.orgを見ると、様々なプラットフォームでの情報が網羅されている。

さらに面白いのは、このLDraw形式のファイルをL3Pというコンバータを使うことでPOV-Ray形式に変換できるのだ。つまりバーチャルに作りあげたモデルをレイトレースできる。

実際に簡単なブロックをレイトレースしてみると、なかなか感動する。仕上がりがめちゃめちゃきれい。一つ一つのポッチにきちんとLEGOのロゴまで入ってる。すごい! しかも、ここまでの過程を、全てフリーソフトで出来てしまうのも、感動ものだ。

週末じっくり遊んでみたくなった。


ちょい飲み

ちょうど会社をでようとしたときに加賀屋くんから電話があり、近くに来ているというので、麻布十番でお茶。マロさん、カネックさん、あと女性の方(名前忘れてしまった…)と、たいやきで有名な、なにわ屋の別館のカフェで。しかし、たいやきはメニューに無かった。

その後、3人はマロさんの車で帰り、加賀屋くんと「あべちゃん」で軽く飲み。麻布十番では異色のディープおやじ系居酒屋。煮込みや焼き鳥が美味い。

車に轢かれるのはいやなので、自転車は置いて地下鉄で帰宅。こういう、ちょっとまだ飲める余裕の残して、さらっと切りあげる飲みも良い。


バブル再び?

最近よく見受けるニュースのパターンとして、経済の指標かなにかによって日本の経済が回復基調にある、という内容を説明したあと、VTRはタクシー運転手のインタビューに切りかわって、「いやー、われわれ庶民には全然実感ないっすねー」っていうやつ。もしくは商店の店主かなにかが「わしらの商売は全然厳しいですわー」とか言うパターン。こういう紋切り型のニュースを作るディレクターって、いわゆるテレビのニュースの枠でしか物事を考えられなくなってるんじゃなかろうか。

まあニュースはさて置き、仮に再びバブル期のような好景気がやってきたとしても、もう一度、みんなに80年代のような生活がやってくることはないような気がする。次のバブルはきっと、ひと握りの富裕層がさらに豊かになって、残りの「下流」階層のひとたちは相変らずのジリ貧生活のまま何も変わらないんじゃなかろうか。

で、実際にバブルが来ていてもあいかわらずニュースでは、タクシーの運転手が「いやー、だめっすね」ってインタビューに答えてるのかもしれない。