来年度より、前橋工科大学総合デザイン工学科 で常勤の教員として働くことになりました。
思い返してみると、2002年に会社を辞めフリーランスとなり、間も無く多摩美での非常勤講師を開始して、それから16年にわたって流浪の非常勤講師 + 自営業で生計を立てるという生活でした。その間に、多摩美術大学、千葉商科大学、嘉悦大学、東京藝術大学、東京工科大学、慶應義塾大学、明治大学と様々な大学で流浪の非常勤講師としてお世話になってきましたが、これからは腰を落ち着けて研究と教育ができる拠点ができました。(ただし、藝大と慶應SFCは非常勤継続予定)。
経験がある方でしたらご存知の通り、日本の大学の非常勤講師は基本はコマ単価のバイトのようなものであり、専用のスペースなども持てないため、常に非常勤先の教室と自宅の間で電車移動を繰り返すという生活でした。また、正直言ってギャラはとても安いので非常勤講師業だけではとても生活できず、フリーランスでの仕事と兼業しながらなんとか凌いできた状況です。そんなわけで、専用の研究・制作スペースが持てて、さらに安定して月給が入ってくるという生活に移行できそうで正直ホッとしました。フリーランスの仕事もいつまでできるかわからなかったですし…
来月で47歳になるので、そろそろ流浪の生活も終えて、腰を落ち着けるタイミングだったのかもしれません。
前橋工科大学は前橋市にある公立大学で、都心から新幹線使用して1時間半から2時間弱といった感じの場所です。まあ大阪や北海道などよりは近いけれど、日帰りで毎日行き来するのはちょっと大変な感じ。なので、前橋近辺に拠点を移して、用事がある時は都内へは新幹線で移動するという生活になりそうです。
正直、常勤の教員としての仕事はまだ全然理解していないので、これからいろいろ大変なこともありそうですが、まずは頑張ってみようかと。もちろん、これまで通り創作活動は続けます。
ちなみに、前橋工科大学の英語名は、Maebashi Institute of Technology、省略するとMITだ!!
※ この資料は、TOPLAPから提供されているインストラクションの内容を抜粋しています。オリジナルの資料はこちら
ライブコーディングの世界的コミュニティーTOPLAPが15周年を迎えます。それを記念して、2月の14日〜17日にかけてライブストリーミングが行われます。世界各国のライブコーダー達が集結します!
ところが… 日本からの参加者が少な過ぎて寂しい!! というわけで参加方法をまとめました。
参加者リストに登録
公開されているGoogleスプレッドシートの中から空いている欄を探して、自分の名前や各種情報を書き込みます。時間はUTC(世界協定時)で書かれていますが、自分のタイムゾーン(日本だとJST)に変換するリンクも用意されています。
一人あたりの持ち時間は30分です。ただし入れ替えの時間もあるので、持ち時間のちょっと前に終わらせるようにしましょう。
タイムテーブルに関してのやりとりは、下記のチャットで行われています。
ストリーミングの設定
OBS (Open Broadcaster Software) のインストール
ストリーミングには、Open Broatcaster Software (OBS) というフリーウェアを使用します。下記から自分が使用しているOSにあわせてダウンロードしてください。
インストーラーを起動して、標準の設定でインストールします。
OBSの設定
OBS Studioを起動します。最初に起動すると「Auto-Configuration Wizard」という設定画面が出ますが、これは後から設定するので「Cancel」で閉じます。
アプリが起動します。画面右下にある「Settings」ボタンを押して設定画面を開きます。
Stream設定
まず、Streamのタブを選んでストリーミングの設定をします。下記の画面のように設定します。
Stream TypeをCustom Stream Serverに URLはまだ未定です。本番までに2つのURLが告知されます テスト用URLで設定の確認をして、出演直前に本番URLに切り換えるイメージです
出力の設定
出力 (Output) の設定をします。基本は下記の画面を参考にしてください。
回線の太さにもよりますが、Videoのビットレートは500、Audioのビットレートは128くらいで設定 もし回線のスピードが十分に速い場合は、Videoを1500くらいまで上げられます
オーディオ設定
次に、Audioのタブに移動して以下の画面のように設定します。
ビデオ設定
さらに、Videoタブに移動してビデオの設定をします。
Base (Canvas) Resolutionは、画面を取り込む際の解像度です。これはディスプレイの解像度にあわせます。 Output (Scaled) Resolutionが配信される画面の解像度です。推奨の設定は、10fps、解像度は852 x 480 pixelですが、これも回線の状態によっては、20fps、1024 x 768 pixelくらいまで上げられます
ここまで設定したら、Applyボタンで設定を確定して、OKボタンで設定画面を閉じます。
入力ソースの設定
最後にメイン画面で入力ソースの設定をします。
メイン画面の下のScenesからSceneを選択 Sources欄の下にある「+」ボタンを押し表示されるリストから「Display Capture」を選びます
キャプチャーするディスプレイを選択し「OK」で確定します
次に、Sourcesのリストから「Audio Output Capture」を選択します。「Create/Select Souce」のウィンドウで「Create Newを選んで」OKを押すと、使用しているサウンドデバイスの一覧が表示されます。ここから、出力に使用するサウンドデバイスを選択します。(田所の設定は、Babyface Proを使用しているので以下のようになっています)
これで設定の完了です。あとは、決定したURLをSettingsのStreamで設定して画面右下の「Start Streaming」ボタンを押せばストリーミングが開始します!!
演奏するプログラミング、ライブコーディングの思想と実践 Show Us Your Screens
はじめに
ほとんどの場合、プログラマーという職業は裏方の仕事で、表に出てくることはありません。そうした裏方の人々による成果であるアプリケーションやシステムのソースコードも、多くの製品/プロダクトにおいて外部から秘匿され、開発に関わった関係者しかその内部を見ることはできません。一般の利用者にとって、ソースコードはブラックボックス化された謎の存在であり、それを生み出しているプログラマーたちも得体の知れない存在です。
外部から秘匿されることで、コードは神格化され、魔法のような存在として奉られるようなります。ブラックボックス化した箱は、人々から多額の金を吸い上げ、資本家にとっての価値を生み出しながらどんどん巨大化していきます。プログラマーも、そうした巨大なブラックボックスに奉仕する存在として、コードという秘技を駆使して支える存在となっていきます。
さらに現代は、コードがプログラマーからも秘匿されつつあります。巨大なアプリケーションやIT システムは一人のプログラマーが全て把握することはもはや不可能であり、ユニット化されたコードの一部を書き換える要員としてしか関われません。将来はAIがコーディングを行い、人間のプログラマーは必要なくなると予想する人たちもいます。
現代のプログラマーは、もしかしたら、産業革命直前の職人のような立場なのかもしれません。職人が弟子に受け継いできた秘技は、巨大な資本に吸収され、工場労働者のように単純な流れ作業をする存在となっていくかもしれません。プログラムは巨大化したIT システムの一部であり、個人の所有が困難になっていきます。
1810年代初頭のイギリスで、産業革命にともなう機械使用の普及により失業の怖れを感じた手工業者・労働者たちが、機械を破壊する運動を起こしました。ラッダイト運動です。この運動は、後の労働運動の先駆けとなりました。
もう一度、個人の手にコードを取り戻しましょう。 それが、ライブコーディングです。
コーディングするという行為自体を楽しみましょう。個人の楽しみとして、楽器を弾くように、詩を書いたり編み物をするように、コーディングするという活動自体を楽しむのです。ライブコーディングを通して、初めて自分で書いたプログラムが動いた時の感動を思い出しましょう。コーディングは仕事のためにいやいや書くものではなく、未知の世界へと足を踏み入れるエキサイティングな行為だったはずです。そして、その喜びを周囲の人たちにも伝えましょう。
ライブコーディングは、コーディングの喜びをストレートに表現する手段としてとても優れた方法です。コードをリアルタイムに音や映像に変換してパフォーマンスすることで、普段コードに触れない人たちにも、プログラミングはこんなに楽しい行為なのだ、クールな表現活動なのだということを、とてもわかりやすく、そして魅力的に伝えることが可能です。
ライブコーディングの世界はオープンに開かれています。オープンソースのアプリケーションをインストールするだけで、誰でもライブコーディングを始められます。ライブコーディングのコミュニティは、互いに緩やかに連携しながら国際的に拡がっています。誰でも受け入れる、とても自由なカルチャーです。
あなたも、本書を踏み台にして、世界にはばたくライブコーダーになりましょう。
2018年12月 田所 淳
2018年11月、ライブコーディングの創始者であり、ライブコーディングのためのプログラミング言語TidalCycles の開発者、そしてライブコーディングコミュニティーのAlgorave やTOPLAP の共同設立者である、Alex McLean とその仲間達がイギリスから来日し、ワークショップとライブを行います!!
Alex McLean氏は、2000年代初頭よりスクリーンにコードを表示してそのコードで生成された音と映像のみで即興的にパフォーマンスするという「ライブコーディング」の手法を生みだした、まさに「ライブコーディングの父」と言える存在です。
今回、Live coding Tokyo <> Yorkshire という東京とヨークシャーのライブコーダーの交換プログラムの一環として来日し、東京と大阪でワークショップとパフォーマンスを行います。ワークショップは、Alex McLeanによる上級者向けのものと、Joanne Armitage、Lucy Cheesemanによる女性とノンバイナリー (女性、もしくは男性どちらにも分類されない)の方限定の初級者向けワークショップを開催します!
ライブコーディングの最先端で活動するアーティスト達から実際にレクチャーを受けることのできる、とても貴重な機会ですので、ぜひ奮ってご応募ください!!
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申し込み
大阪 1 : TidalCycles workshop Osaka
2018年11月11日(日) 開始 13:00 – 終了 18:00 会場:environment 0g (大阪市西区南堀江3-6-1 西大阪ビルB1F) モデレーター: Alex McLean その他
申し込みフォーム
大阪 2 : Womens’ workshop Osaka
2018年11月11日(日) 開始 13:00 – 終了 18:00 会場:STARRYWORKS inc. (大阪市中央区谷町4-3-7) モデレーター: Joanne Armitage / Lucy Cheeseman / okachiho ※女性/ノンバイナリー・ジェンダーの方のためのイベントです。該当する方のみ ご参加いただけます。
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東京 1 : Advanced TidalCycles Workshop in Tokyo
2018年11月17日(土) 開始 13:00 – 終了 18:00 会場:Upgrade International (神田) (東京都中央区日本橋本石町4-5-5 8F) モデレーター: Alex McLean
申し込みフォーム
東京 2 : Live coding workshop for women/non-binary in Tokyo
2018年11月17日(土) 開始 13:00 – 終了 18:00 モデレーター: Joanne Armitage / Lucy Cheeseman / その他 会場:朝日新聞メディアラボ (〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 6丁目19-21) ※女性/ノンバイナリー・ジェンダーの方のためのイベントです。該当する方のみ ご参加いただけます。
申し込みフォーム
ライブコーディングとは、プログラムをリアルタイムに実行しながらコーディングする行為自体をパフォーマンスする表現形式です。Sonic PiやOverTone、Gibberなど様々なライブコーディングのための言語やライブラリーが開発されています。その中でもユーザーが多数存在し活発なコミュニティーの存在するTidalCyclesについて取り上げます。TidalCyclesは通常はSuperDirtというSuperColliderのライブラリーを使用して音響生成を行います。今回は、この音響生成部分をMAXに置き換えて演奏する方法について紹介します。さらに、MAXと連携することで通常のSuperDirtではできなかった表現の可能性について考察していきます。
スライド資料
サンプルプログラム
スライドの中で解説しているMaxとTidalCyclesのソースコードは下記からダウンロードしてください。
先日オープンしたteamLabの新しい「デジタルアートミュージアム」の内覧会にお邪魔してきた。
帰宅してすぐに以下のTweetをした。
今となっては、「安易に批判」というあたりはちょっと挑発的過ぎたと反省しているのだけれど、圧倒的な規模と完成度に正直感動してしまった部分は今でも変わりない。
そして、予想した通り議論を巻き起こした。永松歩さんがとても素晴しいまとめをしているのでリンクする。
個人的な観測範囲だと、teamLabに批判的な方々の意見は以下のようなものが見受けられた。
批評性が無いのでアートではない
規模や物量で感動するのは単純すぎる
「面白い」や「驚きの体験」というだけで思考停止している
子供だましで大人の鑑賞に耐えるものではない
そこから、日本のメディアアートやメディアアーティストの批評性の無さを批判するような意見も多かった。自分も最近までそうした意見の側にべったりついていて、日本のメディアアートは批評性が無いから駄目なのだという意見をけっこう鵜呑みにしていた。
しかし、昨年Ars Electronica Festivalに参加して、ちょっと考えが変化しつつある。Ars Electronicaといえばメディアアート (英語では、New Media Art) を古くから牽引している本流 (権威?) のひとつとして誰も反対する人はいないだろう。Festival期間中はコンペであるPrix Ars Electronicaの受賞展の他に、その年のテーマに沿った企画展や周囲の大学などによるサテライト展示が数多く展示される。
それらを見て回ると、確かに、社会や技術に対する批評を主眼にした作品も多い。例えば台湾の作家Lien-Cheng WangによるReading Plan はとても印象に残った展示なのだが、台湾の初等教育の全体主義的な様子を強烈に皮肉ったものだった。
その一方で、まず始めに驚きや発見を提供する作品も沢山あった。Deep Space 8K で上映されるプログラムは、巨大で高精細な映像へ没入する体験を圧倒的な強度で体感できる。Kimchi and Chips による Light Barrier 3rd Edition も、鏡の反射により空間上に3Dの形状が浮かび上がるという驚きの体験だ。
もちろん、驚きの体験の背後に批評やメディア技術に対する洞察などが含まれている場合も多いのだが、鑑賞している多くの観客はそんなことよりもまず目の前の体験を重視しているように見受けられた。
そもそも、Ars Electronica Festivalの歴史を振り返ってみると、冨田勲によるドナウ川にピラミッドを浮かばせて行ったサウンドクラウドなどの大規模なスペクタクルを体験させるイベントも数多く行っている。
Ars Electronica 1984 – The Universe by Isao Tomita from ars history on Vimeo .
Ars Electronica Future Labによる大量のドローンによる作品も、個人的には現代の花火大会のように感じる。
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New Media Artの歴史を辿っていくと、例えばフェナキストスコープ やゾートロープ は「動く絵」という驚きの体験を提供するメディアアート作品だ。衛生中継が可能となった時代にはHole-In-Space という遠隔地が巨大なホールで結ばれるという体験が作品になった。Aspen Movie Map は、ハイパーメディアで仮想の街をインタラクティブに散策できるという驚きの体験だった。
もちろん、その背後にはメディアに対する洞察があるし、社会批評を含むものもある。しかし、多くの作品に共通するのは新しいメディアに対する「驚き」がまず制作のそもそものきっかけになっているのではないだろうか。
そうした姿勢は、いわゆる現代アートの世界からは「アートじゃない」と常に批判され下に見られてきた。しかし、Ars Electronica Centerを始めとする多くの機関やアーティストの地道な活動で、現代アートのひとつのジャンルとして認められるようになってきたのではないだろうか。
そして、teamLabの展示について改めて考えると、彼等の提供する世界は「驚き」の体験の創出のために現在使用可能なメディアを総動員して実現された、ある意味とてもNew Media Art的な作品なのかもしれないと感じるようになってきた。
さらに今回、初期の作品よりも格段に表現や内容が進歩してきている印象を受けた。おそらく多くの優秀なスタッフが新しくチームに加わってきているのだと思う。彼等も今回の展示の反応をネットでチェックしていると思うので、今後そうした批判も踏まえてさらに洗練されていきそうに感じた。
批評性を主眼においたメディアアート、驚きの体験を提供するメディアアート、どちらもメディアアートだしどちらが優れているとか上とか下とかは無いように思う。
そしてこれだけ多くの議論を巻き起している時点で、社会に対して意義のある活動をしていると感じる。
Disenchantment Space
Hi, I am Atsushi Tadokoro.
Thank you for coming today. I am a creative coder from Japan. I will give you a short introduction of my work.
The title of my work is “Disenchantment Space”. The word “Enchantment” means to have a magical effect on someone or something, and “Disenchantment” is to break an enchantment or a magic.
In this project, I wanted to free the new media art from the “the magic” or a black box of technology.
Nowadays, artists tend to use the word “magic” to explain their works, and the audience seems to pleased their magic.
But, I think it is dangerous. Because of the magic hiding technologies from people. Technology in a black box can be easily used for a wrong purpose.
Gradually, people are becoming afraid of hidden technology like Artificial Intelligence. So, here I open up all technology in this project.
You can see all of the code at my feet what you can see on the wall and feel the sounds in this space. When I walk around, the visuals and sounds are changed by my position.
Now I am the code itself.
Then, this space becomes the huge programmable space. You feel the audio and the visuals from the perspective of code.
There is no magic, no mystery here. This is a way to disenchant the spell of AI age.
Thank you again for coming here today.
Please enjoy.
前回 の続き。
2013年、openFrameworksの創始者であるZach Liebermanさんが、パーソンズ大の先生を辞めて“School for Poetic Computing (sfpc) ”という私塾を立ち上げた。その名前を最初に聞いた時、個人的には、正直ちょっと戸惑った。
それは、今、日本における「ポエム」という用語の意味が歪んでしまって、軽い蔑みの対象になってしまったところにも原因はあったのかもしれない。今日本で「ポエム」というと、いわゆる「意識高い系」のスローガンみたいな印象がついてしまっていてちょっと意味を曲解してしまう。しかし、真面目に「詩的なコンピューティング」と訳して考えてみても、それでもなかなかしっくりと理解できなかった。
しばらくして、Zachさんがほぼ毎日プログラムを作成してその成果を動画でアップしている というのを知り、その活動をフォローするようになった。その過程で徐々に彼の言う「詩的なコンピューティング」の意味が朧げながら理解できてきたような気がする。
Poetic Computingとは、コードで詩を生成することではない。それは、詩のより根源的な意味、ものごとの表面的な意味だけではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現を行うということを、コードを通して実践しているのだということに気付いた。そこから徐々に自分なりに「詩的なコンピューティング」の意味がわかってきたような気がする。
それは、効率やスピードを重視するコンピューティングのカルチャーへのアンチテーゼなのかもしれない。さらには、何らかの対象物を抽象化して表現するということですら無い。
Desing by Numbersのジョン前田やProcessingのCasey ReasとBen Fryは、自分達の開発環境で生みだすコードを「スケッチ」と読んで、スケッチブックに自由に描くようにコーディングをすることを目指した。しかし、スケッチは何らかの対象物がありそれを描写するというニュアンスが含まれてしまう。もちろん、その過程でDaniel Shiffmanの “Nature of Code” のように自然を観察した結果としての優れたスケッチの成果が生まれた。
しかし、Poetic Computingが目指すのは、そうした自然の描写ではなく、より自由により感覚的にコードによって表現することを目指している。単に対象物を描写するのではなく、プログラムから生成される動きや形態そのものから美的な価値や意味を見出す行為なのだと思う。
もちろん、この考えをZachさんにぶつけたら、全然見当違いな可能性もあるのだけれど…
さらに考えを深めていきたい…
先日「計算美学しよう!」という研究グループで、ライブコーディングについての簡単なプレゼンとデモをした。その後のディスカッションで人工知能、人工生命、美学といった様々な専門家の議論を専ら横で聞いていていろいろ刺激され、アイデアが湧いてきた。
その後、TidalCyclesの開発者のAlex McLeanによる “Lessons from the Luddites (ラッダイト運動からの教訓) ” という記事を読んで、研究会での議論ともかなり重なる部分もあり、人工知能や機械学習とライブコーディングの関係についていろいろ思いを巡らせた。アイデアを忘れてしまわないようにメモ的に記録してみる。
個人的には、現在のAIブームにはちょっと懐疑的な部分もある。現在の深層学習のアプローチ、巨大なデータを処理して効率的に学習しながら最適解を見つけていくような方法は、今後もどんどん発展し様々なジャンルに適用されていくのは間違いないと思う。その一方で、意識をもった「強いAI」が生まれてシンギュラリティによってAIが人類を凌駕するというのは、まだあまり実感できていない。
とはいえ、例えばコーディングの分野にしても、近い将来、単純に効率的に最適解を求めるようなプログラムなら、人間のプログラマーではなく機械学習によって自動的に生成されたプログラムのほうが遥かに優秀になる時代が来るのは確実だと思う。そういった時代では巨大なデータと膨大な計算資源をもった組織が圧倒的に有利になり、一人のハッカーが世界を変えるというのがどんどん難しくなっていく。巨大な計算資源とデータを押さえた組織が圧倒的に優位だ。
では、個人のプログラマーはもう無力なのか?
そういった背景を踏まえると、現在のライブコーディングやクリエイティブコーディングの動きがちょっと違った角度から見えてくる。例えば、最近になってZach Lieberman達が提唱している “Poetic Computation” は、計算を効率や速度といった観点からではなく美学として詩的な観点からコーディングを捉え直す試みなのだと思う。ライブコーディングは、さらにこの詩的なコーディングの考えを発展させて、コーディングする行為自体に美や詩情を見出す姿勢なのかもしれない。どちらも、機械学習時代のデータ量や効率や速度といった尺度から逃れて、コーディングの別の価値を生みだすためのアプローチと考えると、その意義が見えてくる。
単に機械学習のブームに乗るだけではなく (もちろんそれも重要だが)、機械学習ではカバーできない領域を開拓して表現していくことが、今、個人ベースのプログラマーにとって重要なことなのかもしれない。
※ 以下の文章は、『Processing クリエイティブ・コーディング入門 – コードが生み出す創造表現』 の序文のために書かれたものです。書籍に掲載されたものはページ数の関係で若干短くなっているので、オリジナルのバージョンをこちらに投稿します。
この本で使用していくプログラミング開発環境Processingの開発者の1人であるケーシ・リース(Casey Reas)は、講演の中で、これからのプログラマーは「ハイブリッド」であるべきだと主張しています。[1]
彼は、ハイブリッドまで至るプログラマーの歴史を、4つの段階にまとめました。
リアル・プログラマー
ハッカー
アマチュア
ハイブリッド
「リアル・プログラマー」は、1940年代から50年代にコンピュータが発明された当初の「真の」プログラマー達です。その多くはコンピュータを専門に扱う科学者達で、国家的プロジェクトによって建造された世界に僅かしかない巨大なマシンをプログラミングできる一握りのエリート達でした。
その後に続くのが「ハッカー」の時代です。1960年代から70年代にかけて、国家や軍などではなく大学の研究室などでもコンピュータが利用できるようになった時代に生まれました。コンピュータをハック(様々な技術を組み合わせて創意工夫)することで、コンピュータゲームなどそれまでに無い様々なカルチャーを生みだしていきました。
1980年代になると、一般家庭にもコンピュータが普及し始めて、誰にでもプログラミングができるチャンスが生まれました。これが「アマチュア」の時代です。BASICなどの学習用のプログラミング言語を通して、趣味としてプログラミングを楽しむ時代になりました。
これらの時代に続く、現代のプログラマー像として提示しているのが「ハイブリッド」なプログラマーです。ここでハイブリッドが意味するものは、何か別の専門分野とプログラミングとの混合(ハイブリッド)です。現代でももちろん専業のプログラマーは数多く存在します。しかし、これからより重要となってくるのは、他の専門分野を持ちつつプログラミングによって実現する能力なのです。アーティスト、デザイナー、建築家、教師、作曲家、データサイエンティストといった様々な分野でプログラミング能力が必要とされています。
Processingは、こうしたハイブリッドなプログラマーのために開発されたプログラミングの環境です。プログラマーになるためにプログラミングを学ぶのではなく、プログラミングで何かを創造したい人達のための道具なのです。
コンピュータが高速化し、多くの便利なアプリケーションが開発され利用されるようになって、いつの間にかコンピュータを利用することとプログラミングすることが乖離してきました。専門のプログラマー達が開発したアプリケーションを業務で使用するというようになると、コンピュータがどんどんつまらなく味気ない存在になってしまっています。
最近になって、PCなど無くても、スマートフォンやタブレットで十分という意見もあります。スマートフォンさえあれば、チャットやSNSやゲームなどのコンテンツを消費することは誰にでもできます。また、人工知能が発達すればプログラミングは必要なくなるという予想をする人達もいます。
しかし、現段階ではスマートフォンやタブレットでプログラミングすることは困難です。また、AIによって全てが作られる未来が本当だとすると、人間は何も生みださずただコンテンツを消費し、巨大企業にデータを提供するだけの存在になってしまいます。
しかしコンピュータは消費ではなく、新たに何かを生みだすことができます。プログラミングで何かオリジナルなものを創造することこそ、コンピュータの根源的な力であり、最も刺激的な行為なのです。そうして何かを生みだす行為は、たとえAIが普及したとしても失われることなく続くことと信じています。
この本は、そうしたハイブリッドなプログラマーを目指す方々のために書きました。この本を足掛りにして、新たな創造の可能性が拡がることを願っています。
[1] Casey Reas, History of the Future, Art & Technology from 1965 – Yesterday | Casey Reas | The Gray Area Festival